Column
#010:1尾≠フ価値
●「お手軽」「誰でもできる」がもてはやされる昨今ですが…
image photo  今年は個人的にフライフィッシング最優先の年≠ニ決めたせいなのでしょう、釣行記で事あるごとに川釣りで根こそぎ釣らなければ気が済まないハイエナ釣り人≠ヌもを非難しています。もちろんエサ釣りをしている連中の全てが、バスを釣っている連中の全てが悪いわけではないのと同じように、ハイエナのヒョットコではないことは言うまでもない事実です。
 奴らのような釣りは単に数が釣れれば良い≠ニいうだけの、欲の皮が突っ張ったガメツイ行為でしかないのですが、実はただ釣れれば良い≠ニいう釣りをするのであればイワナのヤマメもニジマスも関係ない、それこそトラウトでもバスでもフナでも、いや淡水だろうが海水だろうが関係なく「根絶やしになってしまうのでは?」というくらい釣れるエサがあります…当然ガメツイ人は「それは何だよ?」と聞いてきますが、こればかりは本当にシャレにならないので死ぬまで公表する事はありません、あしからず。
 以前河口湖でしつこく聞き出そうとしたヒョットコがいましたが、とても人にモノを尋ねる態度や言葉遣いではなかったので絶対に教えず悶々とした日々の刑≠ノ処しました、ザマミロ。
 
image photo  もちろん釣りをする限り数多く釣れた方が楽しいし、自己記録を塗り替えるサイズが出れば嬉しいに違いありません。しかし考えてみれば誰でも簡単に釣れてしまうのであればある程度釣れる事が当たり前になってしまいます。
 例えばワカサギやハゼのように糸を垂らせば50や100は釣れる釣りであれば自分が50や100尾釣ったところで周りでも50や100は釣っている、となります。これでは別段自慢するところではなくごく普通の釣果≠ニなるので「当たり前」と感じます。
 海の乗合船での釣りとなると船頭さんがポイントの漁礁を巡ってくれてタナまでしっかり指示してくれるので自分で釣った≠ニいう感覚はなくなってしまいます。言ってしまえば「金にモノを言わせて船頭さんに釣らせてもらった」に過ぎず、結局奥さんから「そんなにお金を使うなら魚屋さんで買ったほうが安いわ」と嫌味を言われたりするのです。
 これが川釣りのヒョットコどもに至っては放流がある日には放流場所に群がり放流が始まると寄ってたかって竿を出すのですから乞食にも劣るというものです。こうなると釣りと呼ぶには程遠く、ほとんど金魚すくいですね。


●手間をかける裏側にあるものは…
 ただしエサ釣りをする人の全てがハイエナではなく、行くところに行けば実に関心するような手間隙を掛けてヤマメ釣りに没頭する人がいるものです。私の知り合いの餌釣り師はカジカの産卵の時期に川に入り、大石の裏側に産み付けられた卵を採取して塩漬けにします。そして丸1年陰干しして卵を寝かせ、採取してから実に2年の歳月をかけて解禁シーズンにヤマメ釣りのエサに使うのです。
 今の時代釣具店に行けばイクラでもブドウ虫でも売っているのに何でこんな手間隙の掛かる事をしているのかと聞けば、「雪代が入るような解禁直後にはコイツ(カジカの卵)が一番良く釣れるんだよ」とあっさりと答えます。
 さすがに足掛け2年の月日と手間隙を掛けて作ったエサで釣った1尾となると釣れた時の喜びも半端ではないでしょう。本音を言うと「ヤマメのためによくもまぁ2年もの歳月を費やそうという気になれるものだ」とも思うのですが、このエサ釣り師に言わせると「小さい針にあんな細工をしているフライマンのほうがよほどモノ好きだ」というのです。
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 全日本物好き選手権の勝者はどちらに軍配を上げるかは皆さんにお任せするとして、手間隙を掛けて釣り上げた1尾というものは何よりも得難い感動があるものです。こればかりはワカサギやハゼのような束(100尾)釣れて当たり前のような雑魚釣りや乗合船で釣らせてもらう釣りでは到底感じることのできない感動と言えます。
 放流されたばかりのサカナを狙うハイエナ釣りに至ってはもはや論外です。基本的にポイントの選び方や川の歩き方などの釣りの基本的な事柄が分かっていない人は短絡的にハイエナ釣りに走るようです。言ってしまえば単なる未熟者でしかないので語るまでもないのかもしれませんが、恐らく手間隙を掛けることに何の価値も見出せない・手間隙を掛ける人を「バカだ」「ムダだ」と笑う人も同類なのでしょう。
 もちろんただ釣れればそれで良いという人を矯正しようなんていう気持ちはさらさらありませんが、私にはこのような短絡的な釣りしか知らない人を哀れむ気持ちを抑えることはできません。
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●「手間」と「手軽」
 感動が伴う釣果というものはいつまでも印象深く記憶に残ります。
 例えば生まれて初めて釣ったサカナはいつまでも記憶の中で鮮明に残っています。例えば生まれて初めて釣ったバスについて話を聞くとみんな一様に「ゴンッてアタリがあって後は無我夢中で…」とまるでさっき釣ってきたかのように鮮明に記憶しているものです。
 その日全く釣れなくて苦労した末に釣り上げた1尾がいつまでも記憶に残っています。普段は思い出さないにしろその時釣ったポイントを訪れると途端に思い出がフラッシュバックしてくる…それもその時の温度や草木の匂いや太陽光線の具合や風向きまでもが鮮明に蘇ってきます。
 釣り糸を垂れるまで手間隙を掛ければ感動も大きくなり印象に残るサカナも多くなる、ということで考えようによっては実に贅沢で豊かな釣りを楽しんでいるといえるでしょう。
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image photo  逆を言えば「お手軽」「誰でもできる」事ばかりしていたら感動もなければ印象にも残らない空っぽな釣りになってしまう、ということです。それこそ同じ金を払うなら心が満たされる釣りをしたいものです。サカナだけが欲しければ奥さん連中が言うように魚屋さんに行って買ってくればいいのですから。
 結局「お手軽」を選ぶと感動≠ニいう釣りの醍醐味そのものを犠牲にしているのでは?と感じられてなりません。
 蛇足ながら先程の餌釣り師は山にはめっぽう強いが海はまるでダメで、ちょっと波が立っただけで思い切り船酔いしてしまいます。彼のように三判神経が弱い人にとって乗合船のような比較的大きな船でも海に出ること事態が一手間ということになります。当然彼にとっては船で沖に出て釣ることも手間隙が掛かる作業となり、釣れたサカナの感動も一般の人とは違った感動があるのかもしれません…


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