Column
#017:日本の文化から見るとコイは良いけどバスはダメ≠ェ見えてくる

● 突然ですが、愛≠ニ恋≠フ違いって知ってますか?
image photo  最初に言っておきますが、ダジャレではありません。
 どちらも誰かが誰かの事を好きで好きでたまらなくなる$S理状態を指す言葉ですが、どちらも心ときめく素敵な言葉ですよね。しかし英語ではlove<tランス語ではaime≠ネど外国語ではこのようなキラキラした心理状態を現すにはたったひとつの単語しかないのが一般的です。
 これを根拠に中途半端に頭の良い右側の人達は『それだけ日本人の感情表現が豊かなんだ』とやもすると大和民族優越説≠唱えられがちですが、それはハッキリ言って頭が悪い曲論というものです。実は愛≠ニ恋≠ノは明確な違いがあるのですが、皆さんご存知ですか?
 よく「人類愛」「家族愛」というが「人類恋」「家族恋」とは言わないので愛=広いキャパシティを持ったもの∞恋=個人的な感情に限定する≠ニ思われがちですが、これは飽くまで日本語の法則≠ノ則った単語形成に従ったもので、実はそれでは根拠が足りず正解ではありません。もっともそのようなニュアンスで使うことも少なくないので完全に不正解とは言い切れないのですが…
 
image photo  実は愛≠ニいう単語は中国からやってきた外来語で、在来日本語では恋≠セけが存在していたのです。だから音読み単語の後ろに愛≠ェつくが恋≠ヘつかない、というわけです。
 ついでに言えば現在でも気取ったり知能の高さを誇示したい時なんか英単語やフランス語なんかを使いますよね?頻繁に大陸からの文化が輸入されていた奈良時代あたりまでは中国大陸の言葉を取り入れるのがトレンドだったわけです。その後日本では日本独自のアイデンティティに目覚め国風文化≠ヨと移行していくわけですが、ランドセル(ポルトガル語)やイクラ(ロシア語)のように完全に日本語の単語に溶け込んでしまったのです。こうやって考えると現在でも看板に横文字が入っていたり日常会話の隅々に外来語が入っていて昔も今も変わらないなぁ≠ニ実感するのです。
 現代社会でもそうですが、輸入されるのは言葉ばかりではなく文化伝統から遊びまで輸入されるものでして…ルアー・フィッシングやフライ・フィッシングもそのひとつですね?鎖国と国粋主義に偏るのも個人の自由ですが、輸入文化を取り入れていくと人生の幅が俄然広がるのは皆さんの実感してるところでしょう。


●コイ≠ヘとっても神聖なサカナ らしい。
 さて本題のコイとバスについてです。コイは在来種と勘違いしている人も多いようですが、実はコイも中国大陸から持ち込まれた外来魚です。コイはバスと違って害がない≠ニ長年言われてきましたが近年他のサカナの卵を喰う∞貪欲な雑食魚でキレイさっぱり食い尽くす∞実は水を汚す℃魔ェ密かに問題になっており、一時期積極的に放流していた行政では放流を手控えている傾向にあります。
 ここだけを見ているとバス擁護派は「なんだ、コイもバスも外来魚じゃないか。なんでバスばかり悪者扱いでコイは悪くないんだよ。」とごもっともな感想を抱くのですが、コイをバスのように悪者にできない大きな理由があるのです。
 これは古代中国の正史・二十四史のひとつ 後漢書 の故事…
『黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝があった。この竜門を多くのサカナが登ろうと試みたがどのサカナも登り切れなかった。しかしコイのみが登り切り、登り切ったコイだけが竜になった…』
この伝説が有名な登竜門%`説で、今では立身出世や人生の転機での関門を指すようになっています。
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 日本で5月の端午の節句に こいのぼり を上げるのは中国の故事登竜門≠根拠にしているのです。我が子が登竜門を登って立身出世するようにと願いを込めてこいのぼりを上げる…親心ですね。
 竜はご存知の通りの雷雲や嵐を起こす(竜巻なんかモロですね)神獣・霊獣でいまだに神秘的な存在として捉えられており、日本でも水神≠ニして民間信仰レベルで根強く支持されてきました。日本神話では竜に似た生き物でヤマタノオロチ≠ェいますが、どちらが先なのかはともかく竜とヤマタノオロチのイメージが重なって民間に広く浸透したのかもしれません。登竜門伝説から捉えていくとコイは竜の子供≠ニいうことになり、単に口にヒゲを生やしたサカナというこじつけにも感じられますが、神のサカナの血統で縁起物≠ニされるのです。
 余談ですが香港の伝説的俳優・ブルース・リーは愛称がドラゴン≠ナしたし同じくジャッキー・チェンの中国名は成龍=A日本でも伊達政宗公は独眼龍≠セし2006年プロ野球セ・リーグ優勝は中日ドラゴンズ=cと今でもなんだかんだとドラゴン∞龍≠ニつくと勇ましく強い<Cメージを持っています。
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● ところでバスって何か神話≠ります?
 ドライにサカナとして見ると外来魚で害魚≠ニされるコイは中国4000年の伝説によって神格化されているわけですが、バスはどうでしょう?
 歴史がわずか300年かそこらの新興国≠ナ単にあちらの南部のジイ様の暇つぶしのサカナくらいの立場でしかないバスが持っている伝説と言えば『近所の池のサカナを食い尽くした』『いくら放流してもバスが食い尽くす』程度のもので、登竜伝説の足元にも及ばない都市伝説<激xルでしかない、という情けないものです。
 もしバスがコイのように縁起物の伝説≠ニ重なっているサカナだとしたら、おそらく扱いは大きく異なっていた事でしょう。もしバスが立身出世の生き物なら…誰も害魚だ、殺せ≠ニは言わないでしょう。残念ながらバスは新興国の南部のド田舎のサカナでしかないわけで伝説もヘッタクレもありません。おまけにアメリカ合衆国の侵略イメージから悪いものじゃないの?≠ネ印象を拭い切れないというケースもあります。これは単なる混同視≠ナ偏見でしかありませんが、何事においても偏見を拭い去るのは極めて難しいものです。
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image photo  日本では根強く忌み嫌う傾向にあるバスですが、登竜門の本場・中国ではどんな扱いかと言えば…日本同様忌み嫌われているかと思ったらさにあらず、国家レベルで養殖を奨励しているのです。
 というのも中国には始皇帝も食したと言われている桂魚(ケツギョ)というサカナがいます。この桂魚はまさに幻のサカナ≠ニして上流階級でも上流の者しか口にする事ができなかった。今風に言えば超セレブしか口にできない超超高級魚≠ナ、庶民なんか一生掛けても口にできない代物だったのです。
 が、この桂魚はパーチの仲間でバスと兄弟くらいの違いしかない、食味もバスと桂魚は区別が付かないほど良く似ている…ということで台湾を含めた中国では手軽に食べられる超超セレブ食≠ニしてすっかり定着しているのです。
 中国政府にしてみれば人民の胃袋を満たす手頃な贅沢食≠ニなるわけでこれほど理想的なサカナはいないわけですが、なるほど輸入文化を取り入れていくと人生の幅が俄然広がる好例と言えるでしょう。

アウトドア&フィッシング ナチュラム

●トラウト目線で言えば どちらも 外来害魚 なんですけど…
image photo  しかし私に言わせればバスにしろコイにしろただの外来魚≠ナ大きな差別は抱いていません。
 例えば初詣の賽銭は「10円だと縁(円)が遠(10)くなるから20円(二重に縁がある)が良い」とかおせち料理は喜ぶ(昆布)とかまめに働く(黒豆)とかほとんどこじつけ・ダジャレな語呂アワセをありがたがる日本(大和)の文化風習ですが、おそらく大和の文化に多大な影響を与えた中国の故事でもヒゲの生えたサカナ≠セからコイといわれたのが伝説の根拠だったのではないでしょうか。それもたまたまナマズやドジョウのようなサカナがいなかった、いたとしても成長すれば1mにも達するコイは1尾獲れば一家の胃袋を充分満たしてくれるありがたいサカナ、ということで選ばれただけの話ではないかと推測するのです。
 そう推測すると東日本で正月料理として膳に出す サケ も同様の根拠で神のサカナとされているという共通点にぶつかります。サケやマスの場合小さいうちに海に出て立派に成長したら生まれた川に戻り産卵し生涯を終えると言う習性からわざわざ大きくなって我々の前に戻ってきてくれる神のサカナ≠ニ解釈されて当然だと思うのです。こちらのほうがダジャレより信憑性がある。
 
 トラウトの目線で見るとコイはトラウトの生活水域を汚染し卵を食らうサカナだしバスは幼魚を食らうサカナです。どちらもとても迷惑なサカナとなりますが、この実体は意外と知られていない。マス類はKamu Santek(カムイの血筋=神の血筋)≠ネのだからこれを脅かすのはとても罰当たりな行為≠ネのですが…
 特に西日本では大陸からの影響が大きく、加えて Kamuy Santek の生息が微弱である事から『日本の在来種はナマズがせいぜいでいてもタナゴやマブナくらい』と公然と言って聞かない輩がいるようですが、ヤマメやアマゴはどうなるのでしょう?イワナに至っては日本固有種が結構いるのですが、この辺はどうなるのでしょう?在来種だ外来種だと目くじらを立てる人達ですらこの辺が思い切り欠如しているのはおかしな話です。
 コイとバスを比較して輸入文化を取り入れていくと人生の幅が俄然広がる℃魔ェ図らずも見えてきましたが、どちらにしても生命にまで格差をつける℃魔ノ誰も疑問を持っていないバス論議って、どうなんでしょう?
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