Column
#018:日本の原風景について考える

● まずは皆さん目を閉じて日本の原風景≠想像してください…想像したら、本文へどうぞ。
image photo  他の地域ではどうだかわかりませんが、関東でフライフィッシングを楽しむ人は釣りを楽しむ$lと道具集めを楽しむ$lに分かれます。さらに釣りを楽しむ人でも管理釣り場・釣堀を専門に楽しむ$lと自然渓流を楽しむ$lに分かれます。さらにさらに自然渓流を楽しむ人でも近場派≠ニ遠征派≠ノ分かれ、さらにさらにさらに遠征派は大きく東北派≠ニ信州派≠ノ分かれます。
 なにやら動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳網サル目真猿亜目狭鼻下目ヒト上科ヒト科ヒト属(人間の事ね)≠フような出だしですが、遠征派の人の多くは信州派でも長野市内には目もくれず千曲川の山のほうに行く、東北派でも東北最大の都市・仙台ではなくさらにクルマでン時間とかいった場所に喜んで出かけます。で、近場派の人でも雑踏から離れ牧歌的な懐かしい所を見つけるとなぜかそこが気に入ってしまうはずです。いや管理釣り場派の人でもコンクリートで固められた所より日本の原風景が楽しめる場所のほうがウケがいい。フライ・フィッシャーが他の釣りをしている連中と大きく異なるのは釣りに日本の原風景≠求めている、という点にあるようです…今回は日本の原風景≠考えます。
 
image photo  日本の原風景と言われて何を想像しましたか?まだ想像していない人はここでもう一度目を閉じて想像してください。不思議なもので富士山・芸者・てんぷら・鮨を想像する日本人は皆無ですね。なぜならこれらは全て日本の象徴するもの≠ナあって原風景≠ナはないからです。
原風景≠ニいう単語を辞書で調べてみると…『原体験におけるイメージで、風景のかたちをとっているもの。(大辞泉)』『原体験から生ずる様々なイメージのうち、風景の形をとっているもの。(大辞林)』とある。ついでに原体験と調べてみると『記憶の底にいつまでも残り、その人が何らかの形でこだわり続けることになる幼少期の体験。(大辞林)』とある。ごく稀に富士山だの芸者だのを連想してしまうオッチョコチョイもいるでしょうからそんな人はもう一度原風景を思い浮かべてください。
 もっともこの原風景のイメージもメディアによってかなり固定化されている節も無きにしも非ずですが、そのあたりの些細な事は気にせずに想像してみてください。
 
 さて、想像できましたか?
 こんな話をするのは以前山口に行っていた頃和田君というのが『山口には日本の原風景がある』と言い放った時ものすごい違和感を覚えたのがきっかけです。なるほどあちらでもちょっと山奥に入ればそれっぽい光景はありますが、なぜか私のDNAレベルでこの言葉を思い切り跳ね除けてくるのです…おまけにこの和田君、福島出身で私に言わせれば「福島のほうが日本の原風景多くないか?」というのが素直な感想でした。さては…和田、てめえ浮因だな?
 とそんな残念な和田君はともかく、皆さんも日本の原風景≠ニ言うと右写真のような茅葺屋根もしくは草葺屋根の木造住宅に田園が広がりその向こうには高い山の尾根が…というのどかでどこか暖かい光景が思い浮かぶのではないでしょうか?
 さらにシミュレーションして部屋に入ってみましょう。すると黒に近い茶色い室内に障子の格子模様が目に飛び込んで床には囲炉裏…これは私のイメージする日本の原風景≠ナすが、不思議なもので奄美沖縄を除く日本で聞いてみると大体こんな感じの光景を思い浮かべるようです。
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● 囲炉裏の不思議
image photo  日本の原風景で欠かすことができない囲炉裏ですが、西日本のものは比較的小規模で作りも質素なものが多いのに反して東日本・特に雪深い東北では欠かせないものだっただけに大きく作りもしっかりしたものが多いという地域差があるものの、日本人なら誰でもこれを見たらなぜかホッとするのは不思議だと思いませんか?何しろ木造モルタルか鉄筋コンクリートの建物で生活して囲炉裏などまるで無縁な生活をしている現代の我々ですらこの光景にはなぜか心が落ち着いてしまうのですから。
 それだけでも不思議だと思った私でしたが、もっと不思議な事に囲炉裏という暖を取りコンロとして利用すると言うスタイルの生活小道具は同じアジア圏内でも稀なものです。隣の中国や朝鮮半島では囲炉裏ではなく土間にカマド≠ナあり、西日本ではこのカマドが早いうちから家に備え付けられていたわけです。
 このような独特なスタイルを持つ芸達者な囲炉裏≠ナすが、意外なところにあると違和感と同時に妙なひらめきが頭をよぎるものでして…
 
image photo  それは北海道・二風谷のアイヌ関連施設で再現されているアイヌ民家・チセで見られるもので、チセの中にはどこにも立派な囲炉裏があるんです。と言ってもたいていの人は『あ、囲炉裏だ。ふぅん…』で終わってしまうのですが、そこは妙に細かい所が気になる論理派のウラ漁師、何故津軽海峡を挟んだ向こうの大地に囲炉裏があるんだ?と疑問を持ってしまうのです。和人が伝えた?それはないだろう…と刑事コロンボ並みに結果からいろいろと推理していくのです。
 そこでまずチセの建て方≠ゥらいろいろと調べていくと(チセの建て方は アイヌ文化振興・研究推進機構HP にて)本来チセを立てる際30〜150cm地面を掘り起こしさらに柱を立てる穴を掘るのだそうです。ここに柱を立て茅葺もしくは草葺で壁を作って屋根を載せて、とチセを建てていくわけです。ここでまたもやモルダーとスカリー並みにピンと閃くものがありまして…地べたを掘る≠ニは縄文〜弥生時代の竪穴式住居≠ニ同じじゃないか!ということで一旦囲炉裏の調査を止めて竪穴式住居について調べてみる事にします。


● 縄文時代の竪穴式住居≠ヘ新しい
 縄文時代の竪穴式住居と言えば、窓もなければ壁もない、屋根しかない建物と言うのが日本の常識≠ナす。個人的にはどうしてもこの形の家が住み良いものとは考えられず風通しも悪く不衛生に感じていたのですが、ガッコーのセンセーはどいつもこいつも『縄文人は定住せず移動を繰り返していたから』と何とももっともらしいが腑に落ちない説明を繰り返すばかり。
 ところがこの屋根の家のイメージは登呂遺跡の発掘で作られたイメージで、当時の学者センセーが揃いも揃って縄文期から間もない弥生時代初期の建物だから、縄文気の影響としてテントのような建物をそのまま定住用住居に用いたんだろ?≠ニそれっぽい復元モデルを作ったのがルーツだそうです。登呂遺跡の発見が1943年で、一説によると1973年にイメージが確立したという話もあります。
 これは私の推測ですが、遺跡からたまたま屋根の骨組みだけが発見され、縄文時代は原始時代に毛が生えたもの∞どうせこいつらは土人だ≠ニいう偏見からこんなおとぎの国の小人の家か当時の土人の家のイメージ通りの不可思議な家になったのでしょう。現在土人≠ニいう言葉は差別用語である事は分かっていますが、学者にも根強く差別が残っていた可能性を考え敢えて使用しています。
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独立行政法人 情報処理推進機構(IPA) より
 実はものすごく曖昧なイメージでしかなかったおとぎの竪穴式住居ですが、こんないい加減なイメージはなかったもの≠ニして考えてみます。
 純粋に考えていきましょう…左写真の発掘跡の竪穴に掘られた虫食い穴に丸太を垂直に立て、その上に土人の家とされていた家を乗っけてみます。するととても快適な家が出来上がりますね。そこで不思議なのが写真中央に残る意味不明の穴≠ェ余ってしまう事です。従来の土人の家なら大黒柱ということで片付けられてしまうところを良く見ると四角く彫られた形跡が…囲炉裏以外には考えられません。
 実はこの建物の建て方はそのまんまアイヌのチセの建て方なのです。実は縄文人が囲炉裏を愛用していて何らかの理由で北海道に渡ったアイヌがチセでも囲炉裏を作り続けた…以上は飽くまで私の推論ですが、北海道にアイヌが現れたのは鎌倉時代という事から単にあてずっぽうでは終わらないに違いない。
 時に歴史というものは権力者の手によって歪められ都合の良い解釈がなされてしまうものですが、科学や論理で思い込みや偏見はいずれ破綻するものです。


● 日本の原風景は 縄文時代にあり?
 縄文時代を土人の時代としてきた教育の真の意図はともかく、残念ながら木材や茅というものはいずれ朽ち果て土に帰っていくもので壁が確かにあったと証明できる可能性はほぼ期待できません。しかしこうやって考えると山形になぜかアイヌ遺跡がある、パッと見た時縄文式土器として知られている火焔土器の文様がなんとなくアイヌ文様に似ているなぁ…というUMAとも思える不可思議な点が次々と合点がいくのです。
 さらに驚いた事にアイヌのチセと日本の原風景とされる茅葺屋根の写真を右のように並べてみると…材質や規模こそ違え『良く似てるなぁ…』と気がつくはずです。特に屋根のデザインは全く同じと言い切って良いでしょう。ここまで共通点が多いともはや偶然で片付ける事自体非論理的です。私にはどうしてもアイヌと縄文人は同種であったと信じざるを得ません。
 家の建て方ひとつとってもアイヌは釘1本使わずここまでのものを組み上げてしまう技術を持っていました。そういえば飛騨高山をはじめ日本の各所で釘を使わない家というものが残っていますが、この技術のルーツも突き詰めると同じ所にたどり着くのではないでしょうか…
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 となると日本人の原風景≠ノ最も近い風景は縄文時代からの伝承をゆっくりとしたペースで独自進化させてきたアイヌの村(コタン)にある、ということになりますね。
 もしこの説が正しいとすれば、先ほどの残念な和田君が言った『山口には日本の原風景がある』という発言そのものが非論理的で破綻したものになります…というのも最初の渡来人来航は関門海峡のあたり、つまり北九州と山口のあたりに大挙してやって来ているのですから嫌でも大陸の文化の影響を受けていて日本の原風景とは違ってくる…特に渡来人と維新を誇りにしている山口の人にしてみればなめちょるんか≠ナあり、その気がなくてもその土地の人の誇りを傷つけかねない…これがただの観光客ならよかったんですが、真実を切り抜くのが仕事≠ネ職業カメラマンとなると…やっぱり和田君は残念です。
 和田君がただ言われたモノを撮って来るだけ≠フ残念な人であったことはこのくらいにして、うわべっ面だけで偏見を持つのはとても危険です。少し掘り下げてひねくれてるかな?≠ュらいがちょうどよかったりします。
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image photo  もし縄文時代の集落がアイヌの村(コタン)のようなものだったら…日本人の原風景に対するイメージはは縄文時代からの記憶ということになります。それが日本人のDNAレベルで無意識のうちに記憶されていたとしたら…
 宮沢賢治は教員時代生徒にDNAについてあなたはヘビを見てぞっとしますね。でもあなたはヘビの怖さを知っているわけではない。しかし太古の昔あなたの先祖がネズミくらいの頃仲間がヘビに丸呑みされるのを見て恐怖を覚えた。その時の記憶がDNAに読み込まれ、子孫のあなたがヘビを見るとぞっとする…DNAとは、そういうものです。≠ニ述べたそうです。賢治の言うようにDNAがそういうもの≠ナあれば囲炉裏のある部屋を見て懐かしいと感じるのも、過去の先祖達の記憶が読み込まれたDNAが共鳴して懐かしいと思ってしまうのも当然ですね。
 そうやって考えていくと他の釣りをする連中には決してありえない日本の原風景探し≠無意識のうちに楽しむフライ・フィッシャーとは釣り人の中でも最も己のDNAに素直な人なのかもしれませんね。


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